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タイならではのユニーク店      ▼イスラム女性専用のファッション店(バンコクのプラカノンで)▼


レディボーイ専用 大サイズのハイヒールを売る世界唯一店(▼バンコクのプラトーナムで) 大きな足のおかまさまの専用店▼


3次元空間のスワナプーム国際空港タイ最大手の建設会社イタルタイが同空港を建設中に撮影▼

    現在のスワナプーム国際空港▲

スズキがタイで初の4輪組み立て工場を2012年にヘマラート・イースタンシーボード工業団地で操業させたが、建物は写真のようにこの団地に進出している工場で最もダサい。

バンコクにはあちこちに中華系の先祖を出身地ごとに祭る廟がある




タイで人気が高いEM菌
タイではどこも90パーツで販売されているこのマークがある商品が本物です

EM菌を使って庭の植物までが輝いて見えた病院



カオヤイで有機栽培に取り組んでいる大賀さん▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
  
農園見学に来たタイ人は35年ほど前の東海大学でクラスメートであることに▲大賀さんが気付いた瞬間        ドラゴンフルーツ

大賀さんがわざと雑草をのびるままにさせているのは「雑草は地中の栄養分を吸い上げる作用がある」からだという
        ←霊芝も人工栽培している


筆者が住む千葉県成田市にタイのお寺がある    ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
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タイの中のミャンマー
 マハチャイの塩田
バンコクの西部の漁港がある街マハチャイ市はミャンマー人専用のマーケットまである アウンサンスーチー氏も2012年にはここに住むミャンマー人に挨拶するため訪問した

タイ国内 ミャンマー国境に近いメソットの衣料工場で働くのは100%ミャンマー人


        タイ側国境ゲート ここから歩いて川を越えるとミャンマーのミヤワディに入る▲
 
ミヤワディでは安いタイの携帯電話を使う人が多い タイの無線が入るので。電気もタイから買っているので停電はヤンゴンと違って以前から無い。


ミャンマー大使館前はビザの申請、翌々日の受け取りでも大使館の外まで外国人の行列ができる


  
▲タイのメーソットでの買い物を終えてミャンマーのミヤワディに歩いて帰るミャンマーのおばちゃん。 ヤンゴンからミヤワディに到着したばかりの公共バス▲

タイ・カンボジア国境



日系大手企業が多数入居しているアマタナコン工業団地CEOのビクロム氏はタイ北部で出家して山に入って修行もしたが、夜はこっそりより高い山に登って短波放送のラジオで株価などを確認したが、下がったのでハラハラしていたと、本人。煩悩から逃れることはできなかったと正直に(松田健)に語ってくれた。
←原稿執筆中のビクロムさん




▼タイの女傑 東南アジア最大の自動車部品製造業タイ・サミット・グループ(TSG)を1代で築きあげたソンポン社長
本社社長室で

自身がオーナーのゴルフ場パタナスポーツクラブのクラブハウスから出てもらってご主人で亡きパタナ前社長の銅像下で(松田健)撮影 最後の写真はタイの貿易代表(トレードリプレゼンタティブ)などの要職を歴任したプラチュアップ氏(写真右端)がキャスターをつとめるタイ経済に関するテレビ番組をタイ・サミットの新工場建設現場で録画中。この録画が開始されるたった1分前までソンポン社長は筆者とこの放送とはまったく関係ない別の話をしていた。

メードインタイランドのゴルフカートの製造ライン(これもタイサミットグループが製造)

2013年の春節の中華街で






赤シャツの運動が盛り上がる。プラカノン通りで(松田健)撮影



タイ人はお守りが大好き 男子の多くは胸にいくつもお守りを吊るしている
その専門店 デパートのワンフロアがすべてお守り 現職僧侶までお守りを買いに来ていた。



←この数年、日本からの投資ブームで超多忙のバンコクの日系人材紹介業

チェンマイから山を越えて行くと少数民族の山に囲まれた村があった

タイは夜間労働を麻薬(覚醒剤)使用でこなす人もいる 見つかれば解雇だが・・なかなか根絶が難しいようだ

 

=タイの英字紙ネーションからコピーしました=タクシン首相を追放したクーデターが発生。戦車がバンコクの中まで入ってきたが子供を本物の戦車の上に乗せて記念撮影したり、結婚式から出てきて戦車をバックに記念撮影。もっとも戦車の前でホットパンツで裸踊りを始めた女性グループについては、さすがの軍も追い払った。

黄色シャツのスワナプーム国際空港占拠の直前。私は日本から着く立川商工会議所のミッションに合流するためにバンコクから空港にタクシーで向かっていたが、空港に向かう黄色シャツの大群の先頭と同じになり、空港の少し手前の高速道路上で集会を始めたので、私のタクシーは進めなくなった。しかし幸いにも黄色シャツのリーダーとおぼしき女性が同乗して来た。空港に一歩先に行き空港占拠の準備を打ち合わせるためのようだ。私のタクシーだけが、身動きできないデモから逃れることができた。この女性とは一言も会話しなかった。空港まで高速の途中で他のタクシーを降りて急いで歩く西洋人グループもいた。空港手前では警官のグループがいたがまったくデモ隊を制止する動きはなかった。


バンコクの華僑のカップルがチャオプラヤ川に面した中国寺の境内で仲良しブリの写真撮影中

バンコクの通学風景

カンチャナブリの『戦場に架ける橋』は現在も鉄道が通るが観光客も通る

ナコンパトムにあるタイ最大のパゴダ

バンコクのパーティで出演していた日本人親子のライブ。お父ちゃんのボーカルとギター、娘はバイオリンがよかった

2011年11月の洪水を喜ぶ子供達 アユタヤの「ファクトリーランド」で


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